さて、ついに(笑)始まる08年回顧シリーズの第一弾はやはり、ヤンキースタジアムの最終戦でしょう。
すでにここにてその日の開門前と最後のスタジアムツアーの様子、そして僕にとっての終焉の意味をかきましたので簡単にいきますが、非常に感傷的な一日でしたね。子供の頃は全くそうではなかったですが、隅から隅まで知った一番思い入れのある球場になっちゃいましたから。
もちろんそんな風に感じてる人はいっぱいいまして、ホントに早い時間からごった返してましたね。
普段は4番線の地下鉄は混んでるのでDかBで行くのですが、最後は球場が見える4を選んで行きました。他にも何人も同様に車窓から写真とってましたね。(といってもそれは午前中の話で、その後仕事のためにマンハッタンに戻って、Dで行きましたけどねw)
個人的には子供の頃に行ったナゴヤ球場を思い出すんですよね。電車から見えましたから。
新球場も見えるんですが駅に着いてからか、通り過ぎないと見えないし試合がホンの一瞬でいいから見えるという感じにはなりません。
まだ夏過ぎまでは完全に残ってる予定ですが、これだけ人がいる事はもうないですからねえ。生きた球場という意味で最後。。
遠目に新スタジアムが見えますがこの2日前の昼頃にYANKEE STADIUMの文字をクレーンで入れてました。時代が変わるんだなと。
こういう様な人は結構いましたね。この人らはこの週末スタジアムの周りで何度も見かけました。
他にも球場の葬式みたいなものだから正装すべきだろうと考えたファンは結構いたみたいです。タキシード着て来たとか(笑)
最終戦のチケットですが、通常と違って台紙が大きくて文字が銀色に光ってます。コレクターズアイテムでチケットだけで4、50ドルになってましたね。当然、未使用がいいので(できればシーズンホルダー用のブックレットにはいったまま)、eTicketに切り替えてこのチケットは使わないという人が結構いました。転売する人もチケットだけはキープする人、あとでそれだけさらに売る人と色々。
今年は試合の後にチケットだけくれないか?という看板を持ってる出口で待ってる人がいました。
最終戦のチケットの値段は3、4月頃まで最低で500−700ドルとかしましたが、そのうち400−500ドルくらいに落ち着き、一時は300ドル代まで落ちましたね。この変動の仕方はオールスターと同様の現象で、最後はこれも同様にドーンと跳ね上がるんでないかと思ってたらやはりそうで、最後の最後はどこでもいいから1000ドルでも2000ドルでも払うという人が出ました。もっと早く買っとけって(笑)
いつも言ってますが需要と供給の関係でマーケットを読む事が大事です。いろんな人に頼まれましたが、ほぼ全てを一番安い時に買ってあげました。焦る必要はないんですね。
で、この席は僕の友人が用意してくれた席で、多分一時は2、3000ドル超えをした席です。新球場ではどの試合でも定価が500−1000ドル近くになる様な席なので今年はこんな席に最初から最後まで座る事は滅多にないでしょう。そういう意味でも見納めでした。。。
伝説の98歳の場内放送のおじいさん、ボブ・シェパードが最後のアナウンス。でも、結局今年は一度も球場に来れず。録音をすることが出来るまでは回復してましたが、ロングアイランドから来て3、4時間仕事をして帰る体力はない、との事でした。
残念ですが、この日のためだけの録音を聞けただけもよしとしましょう。
で、試合前のセレモニー。とにかくこれでもか、とやりましたね。歴代の選手を呼び、名選手の映像をまとめてポジションごとに流し、と。
この時点では暫定的に11月にさらに最後のセレモニーを行って、そこでホームプレートやピッチャーズマウンドを新球場に動かす予定でした。ほら当然、ヤンキースはプレーオフにでるつもりで、実際の最後の試合がいつになるかわからない。なのでそういう予定だったようですが、結果9/21が最後になることは試合前から99.9%確定してたのもあり、このセレモニーで十分だろうということになり、11月のものは中止に。
実際、お腹いっぱいでしたね。
歴代名監督の映像からジョー・トーレ(とロジャー・クレメンス)が意図的に省かれてたのには色々物議をかもしました。
亡くなった伝説の選手達(ベーブ・ルースとかルー・ゲーリッグとかね)を見立てた役者さんたちを1時間外野に立たせたのは微妙な演出だった気がします。。
06年を最後に実質引退状態だったバーニー・ウィリアムスが遂にスタジアムでファンの前に顔を見せました。メジャー契約を07年前にもらえなかったことでビターだったようですが、これはもう仕方のないこと。
歴代の名選手の中に混じって彼がそこまでの選手か?と言われると困ってしまいますが、球団側の計らいで最後の登場。一番大きな長い大歓声で迎えられました。90年代を代表するヤンキーですし、いいんでしょう。(ところでこのWBCで最後のプレーをしてましたね。絶対復帰がないとは言いませんが。。さすがに錆び付いてまして7打席でヒットは出なかったですね。)
こういうのに欠かせないのはやはりこの人、ヨギ・ベラ。最後の生きる伝説の一人です。
そして始球式はベーブ・ルースの娘さん。ルースが建てた家ですからね。
最後の国家斉唱です。
そして初球。シーズンとしては不本意だったアンディ・ペティットですが、最終戦には彼しかいなかったですね。2000奪三振を記録。肩に問題があり、苦しんだシーズン(5連敗中でした)でしたがこの日の勝利で14勝目で勝率5割に戻せましたね。
ジーター。ルースが建てた家ですが76年の改装後の球場にとっては彼の家に近いものがあります。どの打席もすごい拍手に歓声でした。本人はこの時点で奇跡的に近かったレッドソックスに追いつくというのを本気で思ってたらしく、最後とは感じてなかったようですが、特別な日だった、来年は想像すら出来ない,と言ってました。
前日に(いつものように)死球を受けて相当痛かったらしいですが、全部出たいと無理に出たようです。何で全然ダメでしたけど、そんなの関係なかったです。
最後の打席の前のジーター。これは見逃せなかったです。
結果はダメでしたが。
最終回、メジャーならではの計らいでツーアウトの時点で守備から退き、スタンディングオベーション。又そのうちアップすると思いますが、最終週は色んな記録も作ったのもあり、余計に彼がいかに愛されてるか再度実感しましたね。
そんで松井。ここに憧れてメジャーに来ただけあって最後の試合だけは出場。ヤンキースのプレーオフの可能性がなくなったこともあって、ずっと休養中でこの試合のあとすぐに手術をする事が決まってました。
最後のヒット。
最後のヒットデキ。
最後の打席に向かう松井。今年は新球場で復活してもらいたいもんです。
最後の試合は毎年、いろんな人に挨拶にまわるんですが、今年は変に感情がはいっちゃいましたね。別に数週間後には会う人もいっぱいいたし、次のシーズンが始まれば会うんだけれど。
デビンくんと。この球場で働くのが好きなんだって。
マーカスとジェリー。2人とも強烈にヤンキースファンです。ジェリーは泣いてましたね。。帰りたくないって。
帰りに偶然会った知り合いも、涙ぐみながら「オレの親父はここでオレを育てたようなもんだ。。」と。
メッツファンで有名ですが、マシュー・ブロデリックがすぐ隣に来てましたね。試合関係なくずっと話し込んでましたが。セックス・アンド・ザ・シティのサラ・ジェシカ・パーカーの旦那さんね。
5回が終了して試合が成立するとカウントダウンをしていた残り試合数。
「1」から何に変わるかと思えば。。。「Forever」でした。まあ、心の中では永遠ってことでしょうか。。
ただ、ここで書いた様に、本当は「Playoffs」ってのが用意されてたんですねえ。
三階から。
最後の。。ってのは気になる所でしたが、最終戦でHRが出るのか?
楽しみしてました。この結果を予想出来た人はいなかったでしょうけどねえ。
ホセ・モリーナ。控え捕手。先発出場はしましたが、彼が打っちゃうとはねえ。
試合をを決めた一発だったし,文句ないでしょう。
ホームインするモリーナ。
その他の最後の。。てのはここに大体ありますね。
ちなみに最後の盗塁はボビー・アブレユで最後の三振はジョバ・チェンバレンがオーブリー・ハフからとったものでした。
最後のゴッド・ブレス・アメリカはお決まりのアイリッシュ・テナーのロナン・タイナンでしたね。テロ後今も毎日ゴッド・ブレス・アメリカを歌うのはヤンキースタジアムだけですが、新球場でもやるんでしょうか。。
そして、最後はやはりこの人。どんな展開でもリベラが閉めるのは決まってましたが、同点だったらどうするだ、という問題が。。
セーブ機会でなかったのは残念でしたが、7−3とうまくいきました。
リベラらしく全て内野ゴロにて三者凡退。
最後の打者のブライアン・ロバーツへの投球ビデオ。
最後の一球かな。
一塁ゴロにてあっさりと。何だか変な感じでした。
ジーターが試合が終わるちょっと前に考えたというスピーチのあと、選手全員でファンへの感謝を込めて帽子をあげての敬礼。
そして最後のシナトラのニューヨーク、ニューヨークが流れる中、選手達はゆっくりフィールドを一周。ファンも選手も関係者も立ち去るのが惜しくずっと残ってましたね。。
これだけ歴史のある球場が閉まるというのはなかなかある事ではないので体験できたことは貴重でした。
もうすぐシーズンが始まり新球場がオープンします。楽しみですが、きっとすごーく変な気分になることでしょう。
次はほとんど書いてなかったオールスター関係かな。
2009年3月25日水曜日
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