ニューヨークのアイコンの一人、元メッツのピアッツァが引退。
史上最高の打撃捕手というのは文句ないですし、殿堂入りは間違いない彼ですがドジャースとして入るのかメッツとして入るのか?
ドジャース時代の彼は本気でものすごかったですが、プレーオフにでたのはメッツで、そして色んな意味でホントのスーパースターになったのはメッツ時代。ニューヨークという場所もそうだし、クレメンスとの絡みなんかも含めてメッツでの彼は本当にスポットライトを浴びました。
なのでメッツの一員として殿堂入りするはず。(そうでなかったらかなりショックですね。。)
彼がメッツに(フロリダ経由)でトレードされた時は僕もよく覚えてますが、あの時当時ボビー・バレンタインががんばっていたもののスターに欠けて、もう一枚がなかったチームに核ができた時でした。
当時の盛り上がりはやはりすごかった、始めはブーイングもされ(それがニューヨーク)、98年最後まで再ルドカードのプレーオフを争いましたが一歩届かず。メッツのプレーオフが消えた、確か161試合目かなんかのあとベンチに一人座ってたのをよく覚えてます。
あの98−2000年のメッツは最高でしたね。今のチームの方が才能はあるかもですが、燃えるものがありましたからねえ。
2000年はクレメンスやサブウェイシリーズ、Wシリーズの最後、ヤンキースからリベラから一瞬行ったか?と思わせるセンターフライもよく覚えてます。
でも、やはり彼のキャリアでの、そしてNYの野球史でも、最も大きな試合はやはり、2001年の9月21日、9月11日のテロの後、初めてNYで行われた試合。
8回裏に1−2からの逆転2ランHR。
あんなホームランは後にも先にもないでしょう。あの時の球場の雰囲気はテレビ越しでも伝わって来ました。
今でも鳥肌が立つ試合の一つ。悩んだ末にいかなった試合。
既にあんな事があったあとで球場に行くべきか?と考えちゃったんですが、間違ってましたね。
あのHRはニューヨーカーの希望をのせて、と言ってしまえばカッコいいですが、あの試合は野球というかスポーツがいかに人々に影響を与えられるかを本当に認識させられた試合でしたね、
まだやれそうな彼ですが残念にも引退。典型的な西海岸のサザン・カリフォルニア・ガイの彼。たまにはシェイスタジアムに顔を出してほしいもんです。
2008年5月22日木曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
お邪魔します。引退はとても残念です。打つだけならまだまだと思ってましたが。観戦に行った2000年の日本開幕戦の時はソーサにリッキーヘンダーソン両選手,カブスにジラルディ監督がいたのも今考えると何かすごいですね。それにしても今年所属が決まらない大物多すぎません?
ピアッツァ、野茂とバッテリー組んでいた印象が凄く強いです!!
好きな選手でした!!
でも、最近は肩の衰えや膝を悪くした事で、何だか痛々しい印象がありましたね…
「お疲れ様」と言いたいです…
コメントを投稿